SAILING POEMS

If you are good enough, someone will notice.

デリカシーの欠如

2年前、術後まもない私に「乳がんステージ4の人を支援している」と話してきた人がいた。自分が支援している人はステージ4で満身創痍なのにがんばっていてすごい、といった内容だった気がするが、病院のベッドで、傷も痛くて、まだまだ心も傷んでいた身には、「ステージ4」という単語が耳から入ってくるだけでぞわぞわとした恐怖に襲われて、つらくて仕方なかった。

 

耳を塞ぎたかったが、そうもいかないので、できるだけ話を聴かないようにして、ただの音ととらえて、とにかく早く帰ってくれることを願っていた。

 

なんでその話を私にするのか、全く理解できなかった。がん患者を支援している自分に酔っているのか。すばらしい活動ですね、と私に言ってもらいたいのか。自分の体で精一杯の私に、何を期待していたのか。

 

2年経って、やむなくその人と話さねばならない機会があったのだが、きいてもいないのに「支援していたステージ4の人が亡くなった」と言われた。

 

またその話か!しかも用件とは全く関係ないのに。言わなくてもいいのに。

なんで何度も私にその話をするのだろう。まさか私はステージ軽いんだからがんばれ、とでも言いたいのか。「支援」という言葉を必ず使うことから推測すると、やはり「弱者を想い、活動する私」を褒めてほしいのか。ねじれた自己承認欲求か。がん患者は「弱者」で、あなたは「強者」だとでも思っているのか。

 

ちなみに私は、がんになる前より、なったあとのほうがよっぽど強い。あなたごときに「弱者」と呼ばれたくない。

 

とにかく、がん経験者の私にしてよい話ではないと思う。

タイミングもいつも最悪。

デリカシーがないにもほどがある。

悲しいほどの想像力の欠如。

悪気はないのだと思うが、弱っている身には、暴力的だ。

 

大反省。近づいてはいけなかったのだ。

そして、これからは近づかないようにすればいいのだ。

ただそれだけのことだと思うようにしよう。